オーナーシェフの体験談!小説密林の孤児を読んで、

ターザン物語、密林の孤児を読んで

小学5年の時に同級生で仲良しのM子ちゃんが、洋次君(私の名前)これ面白いよと本を渡してくれた、本は密林の孤児(バルーバーの冒険)片目の金獅子の2冊で著作者は日本人のターザン物語でした。アフリカ奥地の密林に飛行機が墜落し日本人の両親が死んだ、残された幼い男子はチンパンジー達に育てられた。武器の短刀は黄金造りの鞘と柄の銘刀で、由緒ある家柄の子孫である事実を物語る。

やがて逞しい青年に成長したバルーバー(密林の王者)が密森の動物を襲う猛獣達を倒し最強の敵ライオン3兄弟と対決する。赤獅子、黒獅子の兄弟を倒し長男の金獅子と対決するが、最強の金獅子とは死闘の末に友情が芽生える。最強のコンビが森を狙う奇怪な怪獣や悪党達と死闘し森を守る物語である、夢中で読んでいるとM子ちゃんが洋次君はターザン好きなのと聞いた。M子ちゃんは優等生でお転婆だ、スポーツ万能で女ターザンのようだった。

小学4年頃から少しずつ元気になった私は山や川で遊び、ターザン物語を読んでから俺はターザンになるぞと決めました。M子ちゃんは新宮市の学校に転校した、生まれつき病弱だった私が鬼のように元気になったのは、M子ちゃんにターザン物語を紹介して頂いた事もあるかも知れませんね。

ターザンに憧れた私は中学生になると春休みは山遊び、夏休みは川遊び、冬休みも山遊びに忙しく勉強する暇が無かった、母はそんな私を叱りもせず頼もしそうに見守ってくれました。父は護身用に本物の短刀を私に与え山で猪に襲われたらこれで戦えよと笑っていました。私は家近くの山中に隠れ家を造った、木の上に見張り台を造り岩穴に寝床を造る、弓矢、竹槍、パチンコ(飛び道具)の武器を用意して対猪用に備えた。漫画本、蝋燭、蚊取り線香、干し芋などの食量を備蓄して学校の休みには泊まった。

俺は野蛮人

山猟や川漁の得意な私は村人からターザン(野蛮人)と呼ばれた。春は山菜取り、夏は鮎取り、鰻取りで夏休みは朝早くから日が暮れるまで一人で川遊びだ。冬は山中に罠を仕掛け野鳥取り、秋は茸採りや木に上り木の実を取った、友達と遊ぶより一人遊びが好きだった。山の動物達は仲良くなれば可愛い、山猿達は餌を与えてもなかなか馴れないが馴れると可愛い、ずるい人間のように嘘を言わないから好きである。

百舌鳥や目白(めじろ)を飼い飼育に忙しかった、朝早く起きて目白のすり餌をつくる、小鳥は餌を忘れるとすぐに死ぬ。百舌鳥は肉食で冬の餌確保は大変である、朝早く冷たい川に入り子魚を捕まえるが吹雪舞う冬は寒かった。日々忙しくて疲れ学校では寝てばかりで勉強する暇が無い、夏休みなどの宿題は真面目にやった事が無く、先生に叱られるのは馴れている悪ガキでした。

中学校までは自転車通学で約1時間赤木川沿いを走る、自転車を置き約500メートル坂道の上に学校がある、中学の同級生は35人位少ないが熊野川町では2番目に生徒が多かったと思う。私は雨の日も雪の日も自転車通学である、冬場は細い砂利道が凍結し自転車が滑り赤木川に落ちた経験も度々ある。ストーブも無く寒い教室で震えながら服が乾くまで我慢した、馬鹿なターザン(野蛮人)は風邪も引かなかった。和歌山県は台風が多い、相当の台風が来ないと休校にはならない、学校の帰り道で川が氾濫し、山道を登り家に帰った体験もある。

20年以上の昔だろうか。。中学3年間担任だったH先生の退職を祝い恩師を迎え同級会が行われた、私にも連絡がありましたが残念にも予約で忙しい5月の連休中でした。恩師にお祝いの花束と感謝の心を込めて自作の俳句を送った、H先生より心温まるお礼の便りが届き感動しました、嬉しいハガキは大切な宝物にしました。

師を迎え 集う若葉や 歌う宿  和歌山県東牟婁群熊野川町立三津野中学卒業、愛知県東海市グランシェフ。

     オーナーシェフ 滝尻洋次

 

 

 

 

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