料理人になったターザン、 牛タンシチュー、優しい鬼達に感謝しました

牛タンシチュー

牛タンシチューはフランス料理モンターニューの伝統料理でした、食べたときその美味しさに感動し私も作りたいと思った。私にも作れるようになりますかと問えば、作れるがお金をいただくには厳しい修行が必要だ、鬼のような恩師に励まされました。

牛タンの薄皮を剥ぎフライパンで焼き色を付け、褐色煮出汁と赤ワインで煮込み、ブリューヌソースを加えて丁寧に煮込む。箸が軽く刺さるまで柔らかく煮込み厚めに切る、煮汁に生クリームを加えて味を調え牛タンに注ぎ温野菜料理を添える。

温野菜料理は牛タンシチューの味を高めるために添える、料理はすべて一対であり野菜料理も下拵えなど熟練を要します。古典料理で食通に人気の高い料理だが、本物を食べた人は少ないと思う、地方では提供している店が少ないのも事実です。

既製品のソースを使用する店が多いが不味い、ブリューヌソースは完成まで日数と材料費が掛かり熟練の技術が必要である。恩師は煮込み料理が得意でした、煮込み料理は基本が大切であり丁寧な仕事が味を決定、すべてに手抜きは絶対に許されない。

満州鉄道ホテル

恩師の父は旧満州鉄道ホテルの料理人だった、満州鉄道ホテルは世界の国のトップを招待し、料理のレベルは高かったと聞きました。戦後名古屋でモンターニューを開店し多くの料理人を育て、名古屋の西洋料理の発展に貢献した伝説の鬼料理長と教えられた。

お客様に修行した店名を聞かれます、モンターニューを知る人は少ないが満鉄ホテルの歴史を知っている高齢者は意外に多い。恩師と恩師の末弟の先輩は若くして他界、愚弟の私が未熟ながらモンターニューの伝統料理を継承する最後の料理人になった。

調理法は食材に聞け素直な心で聞けば教えてくれる、、恩師の教えを想いながら仕込む牛タンシチュ-は感無量であります。私が修行した睦クラブ(モンターニュー)は、外人接待のクラブであり、食事は前日予約で世界中の料理を提供していました。

昭和40年当時は鬼が居た、教える鬼も真剣、覚える方も必死だった、調理場の鬼達も仕事後は、親兄弟のように優しかった。朝4時に起き柳橋の市場にお共する、恩師は様々な魚介に精通し色々教えてくれました、名前の由来、伝説など博学な方でした。

モンターニュー最後の後継者

数年経ち仕入れた魚の調理法を問われた、お前なら何が最適と思うか、恩師と調理法が合うと飛び上がるほど嬉しかったです。鬼達が少なくなった、本当の優しさとは。。教える立場になり理解しました、良き時代に修行できて今更ながら感謝しています。

恩師は上達の遅いヤンチャ者を辛抱強く育ててくれた、体力だけの私にボディビルを指導し(無事これ名馬)と微笑んでいました。それどれの料理にそれぞれの想い出がありますが、牛タンシチューは私の料理人生の中でも、感慨深い一品でございます。

ボディビルは現在もノラクラ継続しています、恩師に頂いた100キロセットは宝物、形見のバーベルを握ると恩師の笑顔が偲ばれる。恩師や先輩に詫びることがあります、跡継ぎを育てる能力が無く、私の代でモンターニューの歴史が絶え、申し訳なく思います。

幾百の 魚焼継ぎ 年逝かす

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