料理人になったターザン、地獄の回航、鬼のセカンドチーフ。

私が修行したIHI(石川島播磨重工名古屋造船所)の外人接待睦クラブ(モンターニュー)の役目は様々、新造船にまつわる各種儀式のパーティー料理、船関係のお客様の食事や接待料理、各国からくる来賓等の食事、緊張感が必要な仕事であり常に調理場は真剣勝負でした。怒鳴るビンタは日常茶飯事の調理場で恩師の言葉は調理場の法律だった。その他に地獄の回航と私達が称した大変な仕事があった、新造船のテスト回航の食事を受持つがスタッフや外人達は合計150人近く船に乗る。巨大タンカーのタラップを登り人力で長期間の膨大な食材や、調理器具等の積み下ろしは料理人達にとって重労働、過酷な山仕事で培った体力自慢である私の出番だった。

普通タンカーの乗組員は30人程度らしいが、揺れる船の狭い調理場で朝食から夜食まで大量の食事を仕込むのは大変だった。回航の食事はすべて豪華だった特に夕食は料理の種類が多い、スタッフ食、部課長食の他外人食は特別でフランス料理のフルコースである、部課長食からは飲物も付き彼らは毎夜食事を楽しんでいた。スタッフ食のご飯やみそ汁もすべて温かく提供しご飯は食べ放題である。普段は冷たい弁当を食べている彼らにとって回航の食事は楽しみだったと後に聞きました、私達には大変な仕事であり、地獄の回航であったが彼らからご苦労さんですと感謝されて嬉しかった。

寝る場も少なく簡易ベッドで2週間以上寝るは疲れがとれない。それでも名古屋造船所時代は楽しみもあった、一週間のテスト航海後に相生や横浜、東京にある造船所内のドックに船底の塗装の為一週間程度停泊し私達の仕事も暇になる。各港に馴染みの飲み屋があり店の女性達に逢うのも楽しみだった、名古屋工場から知多工場に移転すると、知多工場には100万トンドックがあり船底の塗装もすべて出来る、船は3週間近く太平洋でテスト航海をするだけで名古屋工場時代より更に地獄の回航になった。

運悪く台風に遭遇した経験もあり巨大タンカーが木の葉のように揺れる、一日中エレベータに乗っている状態で船酔いの酷い私には地獄であるが頑張るしか無かった。船上の仕事は厳しくバイト達やヘルプのコック達は二度と船には乗らない、バイトやヘルプ達は専門の手配人に恩師が頼むらしい。当時は飲食店が忙しい時代で3週間も暇があるような輩は真面目な連中では無かった。不良のような奴、乱暴で仕事が出来ないコックも多い、そのような連中をまとめて船上で3週間仕事をさせるには生半可な精神では出来ない。

名古屋工場時代は恩師の父親に仕込まれた有名ホテルの総調理長が部下達を派遣してくれました。派遣されたホテルのコック達は仕事が出来てボーイ達もプロだった、新米だった私は船で学んだ知識が多く回航は勉強の場にもなりました。ホテルから来るバイトやコック達は礼儀も良く賭け事などせず仕事に遅刻などしなかった。やがてホテルが忙しくなり知多工場時代からはホテルからのヘルプは来れなくなった、恩師は困り手配人に依頼したが寄せ集めの連中ばかりで礼儀も悪く仕事も出来なかった。船のチーフになった親友のA先輩を助けて私は鬼のセカンドチーフになりました。

乗船前夜皆に逢うが今回も生意気そうなヤンキーばかりだ彼ら3人は仲間らしい、仕事は緩慢で返事も無い暇があれば賭け事で遅刻が多い船が太平洋に出るまでは我慢である、太平洋に出たもう逃げられないぞそろそろ船の法律を教えてやれよとA先輩が笑った。A先輩と私は幾度も修羅場を体験し命を助けあった義兄弟である、太平洋上で船の甲板に連れ出し反抗する3人を甲板に叩きつけた。リーダーの両足を持って吊るし海に落ちたら死ぬぜと笑うと震えていた。船上は治外法権であり俺達の行動が法律である、その日から皆真面目になり良い子達になった、A先輩も満足そうに良い子達よ3週間仲良くやろうぜと微笑んだ地獄の回航の始まりでした。

地獄の回航はその都度船に乗るメンバーが変わる、それでも3週間最後まで真面目に仕事を遂行させるのが私の役目である。。それ故に鬼のセカンドチーフは休む暇が無かった。無事回航が終わり知多工場内の睦クラブに着く、疲れ果てたバイト達を見ながら恩師が何事も無かったかと聞く、皆よく頑張りましたから今回も楽でしたと私とA先輩は報告し恩師はニヤリと笑い私を見た。笑。。

男だけの3週間は皆気が荒れ夜になると船内で怒鳴り声が聞こえる、スタッフ達もイライラするのだろう。。調理場で夜食の用意をしているとヘルプのコックが興奮して包丁を持ち出した、日頃から酒癖の悪い男だボーイ長のMさんと揉めたらしい、Mさんに切りつけたが簡単に躱され見事なパンチを数発顔面に浴びKOされた。Mさんは恩師の知り合いでその喧嘩伝説は有名だが喧嘩は初めて見た、日頃は温和で優しく洋次君と私を呼んで私も好きだった。下船するとウエィトレスのR子さんが待っていた30過ぎで丸顔だ、私達は狸と呼んでいたが綺麗に見えた、私がRさん綺麗になったねと言うと洋次君は3週間女性を見てないからよと照れていました。

山奥育ちのターザン(野蛮人)は乗り物に弱い、動物は乗り物酔いをするが野生に近い私も船酔いが酷く下船するとほっとしました。無事回航の任務を終えA先輩と旨い酒を酌み交わす、兄弟仁義の歌が聞こえるような気がする、俺の目を見ろ何にも言うな、命を預けあった生涯唯一の親友と飲む酒は格別でありました。A先輩のアパートに行くと色々なインスタントラーメンがあった、名コックなのにラーメンが好きですね私が笑うと俺を小池さんと呼んでくれと笑った、当時ラーメン好きの人を小池さんと呼んだらしい。笑。次回の回航も頼りにしているぜ、任せてくださいと答えたそんな青春時代でありました。

A先輩は恩師の末弟で私より1歳年上、16歳からコック修行し19歳から修行した私より5年経験が長い、船上では温和なチーフ役私は鬼のセカンドチーフ役だがA先輩は短気で喧嘩速いのに名演技だった。29歳まで共に仕事をしたがMさんが君達は黄金のコンビだねと褒めてくれました、A先輩は42歳で死亡、兄の恩師も48歳で死亡しました早すぎる天才料理人の死はあまりにも空しい。Mさんもこの世を去り無鉄砲で早死にすると言われた私が健在なるも不思議である、伝統ある睦クラブ(モンターニュー)の歴史は私に後継ぎを育てる能力が無く私の代で終わる、それだけが申し訳なく思ういつか天国で逢えば謝りたいです。

余談であるが当店のリピーターに知多市で営業している酒屋夫婦様がいます、知多工場時代回航用に大量の酒やビールを二人で積込みに来て細見の奥様が重そうに運んでいた、私は可哀そうに思いビール4ケースずつ持ち手伝った。大瓶ビールを2ケースずつ両手に持ちタラップを登る姿を見て驚いていました。食事後は必ずその昔話で盛り上がりあの時は有難うと感謝されます、あの頃のシェフは物凄い怪力だったね、奥様も綺麗でしたね、旦那様は怠けていましたねー。笑。仏様のような酒屋夫婦はもう高齢であるが時々ご来店され昔話を楽しんでおられます。私は悪役を卒業し素晴らしいお客様達に恵まれ、妻と厳しいながらも真剣勝負の楽しい日々を過ごしています。

                   熊野のターザン談。

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