料理人になったターザン、地獄の回航、鬼のセカンドチーフ。

地獄の回航

私が修行したIHI(石川島播磨重工名古屋造船所)の外人接待睦クラブ(モンターニュー)の役目は様々、新造船にまつわる各種儀式のパーティー料理、船関係のお客様の食事や接待料理、各国からくる来賓等の食事、緊張感が必要な仕事であり常に調理場は真剣勝負でした。怒鳴るビンタは日常茶飯事の調理場で恩師の言葉は調理場の法律だった。その他に地獄の回航と私達が称した大変な仕事があった、新造船のテスト回航の食事を受持つがスタッフや外人達は合計150人近く船に乗る。巨大タンカーのタラップを登り人力で長期間の膨大な食材や、調理器具等の積み下ろしは料理人達にとって重労働、過酷な山仕事で培った体力自慢である私の出番だった。

普通タンカーの乗組員は30人程度らしいが、揺れる船の狭い調理場で朝食から夜食まで大量の食事を仕込むのは大変だった。回航の食事はすべて豪華だった特に夕食は料理の種類が多い、スタッフ食、部課長食の他外人食は特別でフランス料理のフルコースである、部課長食からは飲物も付き彼らは毎夜食事を楽しんでいた。スタッフ食のご飯やみそ汁もすべて温かく提供しご飯は食べ放題である。普段は冷たい弁当を食べている彼らにとって回航の食事は楽しみだったと後に聞きました、私達には大変な仕事であり、地獄の回航であったが彼らからご苦労さんですと感謝されて嬉しかった。

根性で耐えた

山奥育ちの私はシンナーやペンキ臭が苦手だった!新造船は特にペンキの匂いが強く気分が悪くなる!巨大船は太平洋に出るまでは揺れない。景色を見て動いているのが実感できる程度だった!特に揺れるのは熊野灘、遠州灘で昼夜エレベータに乗っているようだ。朝食は7時から提供!外人食やスタッフ食等を準備するが人数が多く!5時に起きないと間に合わない。

私はは早朝の船酔いが酷かった!吐くだけ吐けば少し楽になる!誰にも分からないように平気な顔をする!バイト達は船酔いすると仕事を休んだ。負けず嫌いの私は常に回航要員である!早朝5時から24時の夜食終了まで根性勝負だ!朝食、昼食、夕食、夜食までの過酷な労働である。朝食、夜食は当番制であるが!根性の無い野郎達は疲れて起きてこない!私とA先輩、ボーイのMさんとO君が頑張った。私が船酔いするとは誰も知らなかったと思う!しかし伊勢湾内や瀬戸内海では船が揺れず食欲旺盛になる。地獄の回航が終わり!太っているのは私だけで皆痩せていた!負けず嫌いであり疲れた!の弱音言葉は知らなかった。

寝る場も少なく簡易ベッドで2週間以上寝るは疲れがとれない。それでも名古屋造船所時代は楽しみもあった、一週間のテスト航海後に相生や横浜、東京にある造船所内のドックに船底の塗装の為一週間程度停泊し私達の仕事も暇になる。各港に馴染みの飲み屋があり店の女性達に逢うのも楽しみだった。名古屋工場から知多工場に移転すると、知多工場には100万トンドックがあり船底の塗装もすべて出来た。故に船は3週間近く太平洋でテスト航海をするだけで!名古屋工場時代より更に地獄の回航になった。バイト達やヘルプのコック達は二度と回航の仕事には来ない!私とA先輩、ボーイ長のMさんボーイのO君は常に地獄の回航要員でした。

O君の根性を見た

余談ではあるがボーイだったO君は!私より早く睦クラブを辞めてスナックを開業した!地獄の回航で培った根性で頑張っているらしい。私より3歳年下のO君は私のヤンチャ時代を見ている!暴走族にも顔が広かった彼もヤンチャだった!彼のヤンチャについて懐かしい事件がある。私が24歳の事件だった!会社の広場で初めての盆踊り大会が行われた!私はバイトの女の子を朝倉駅まで送る途中でした。入れ墨をした下請けの連中が数人!泥酔して暴れている!制止した守衛が殴られていた!女の子達も逃げ回っている。1970年代は守衛達が威張っていた!私も守衛と喧嘩をして懲罰を受けた経験がある!正門は会社の要であり当然と思うが腹が立った。。

私は恩師から喧嘩を禁止されていた!見ない振りをしたがバイトの女の子が叫んだ!洋次さん(私の名前)は男だよね。暴れている男達を制したが殴られた!修羅が覚醒し数人を殴り倒した!刹那に洋次さん加勢するぜとO君が飛び込んできた。お前は弱いから無理をするなよと私は微笑んだ!しかし小柄なO君は意外に強かった!彼も久しぶりの喧嘩を楽しんでいた。私は随分殴られたが相手は泥酔し所詮人間の手足だ!相生で体験した角材や鉄パイプの殴打に比べれば何とも無い!翌日恩師に呼び出された。厳しい注意を覚悟したが!恩師はよくやったなあーと微笑んだ!会社の勤労課長から褒められたそうである。警察を呼ぶ事も無く事件が治まり!勤労課長が感謝していたそうだ!喧嘩で褒められたのは初めてで変な気分でした。

男心に男が惚れた

私とA先輩は回航や船の儀式の無い日は!外人の昼食の準備だけで暇だった!夕方から交代でモンターニュー経営のスナック渚を手伝った。翌日の夕方スナック渚に昨夜の無法者達が数人復讐に来た!開店前のスナック渚に居たのは!私と年上のバーテンダーのKさんだけだった。 Kさんは寡黙で温和な人物だ!私はKさんの履歴は知らないが!仁侠映画の悪役に似た風貌だった。私はこれから修羅場になるから逃げてくださいと頼んだ!事態を知りKさんが微笑んだ!久し振りだ俺も楽しませて頂くぜ。アイスピックを握りニヤリと笑った!数人の無法者相手に楽しそうだ!ニコニコして凄い度胸である。仁侠映画の唐獅子牡丹!高倉健と池辺良の殴り込みのシーンが!瞼に浮かび!感激した私も命知らずでした。

男心に男が惚れた!連中が逃げないように私は無言で扉の鍵をかけた!修羅場と化す瞬間だった!突然扉を叩く音がした。事件を知った連中の親方が喧嘩を止めた!Kさんと酒を飲んで語った!勝てば監獄!負ければ地獄!と私が笑った!Kさんも無事で良かったねと笑った。馬鹿は死なないと治らない!旨い酒を酌み交わしながら!Kさんは俺も暫く別荘に行って無いなあーと笑った。Kさんは一人娘を愛する優しいお父さんだった!しかし深夜の柴田で顔が広くやはり只者では無かった。。

鬼のセカンドチーフ

運悪く台風に遭遇した経験もあり巨大タンカーが木の葉のように揺れる、一日中エレベータに乗っている状態で船酔いの酷い私には地獄であるが頑張るしか無かった。船上の仕事は厳しくバイト達やヘルプのコック達は二度と船には乗らない、バイトやヘルプ達は専門の手配人に恩師が頼むらしい。当時は飲食店が忙しい時代で3週間も暇があるような輩は真面目な連中では無かった。不良のような奴、乱暴で仕事が出来ないコックも多い、そのような連中をまとめて船上で3週間仕事をさせるには生半可な精神では出来ない。

名古屋工場時代は恩師の父親に仕込まれた有名ホテルの総調理長が部下達を派遣してくれました。派遣されたホテルのコック達は仕事が出来てボーイ達もプロだった、新米だった私は船で学んだ知識が多く回航は勉強の場にもなりました。ホテルから来るバイトやコック達は礼儀も良く賭け事などせず仕事に遅刻などしなかった。やがてホテルが忙しくなり知多工場時代からはホテルからのヘルプは来れなくなった、恩師は困り手配人に依頼したが寄せ集めの連中ばかりで礼儀も悪く仕事も出来なかった。

A先輩は恩師の末弟である、酒を飲むと人間凶器に変貌するが普段は気が弱く何も言えない、私は酒を飲んでの喧嘩はしない主義だった。多くの弱虫達は酒を飲まないと温和である、しかし泥酔しての喧嘩は思わぬ不覚をとる、少年期より幾多の修羅場を体験した教訓であった。私はヤンチャ者になり新宮市で顔が売れた不良になった、反省して故郷に戻り鬼のような樵達に鍛えられた。船のチーフになった親友のA先輩を助けて、私は鬼のセカンドチーフとなり心ならずも悪役を演じました。

騙された学生達

乗船前夜皆に逢うが今回の学生バイト達は楽しそうだ、珍しく真面目そうな連中であるそれに皆荷物が多かった。カメラ、海水パンツも持っていた、又手配師が彼らを騙したなと私は思ったが黙っていた。船が太平洋に出るまでは可哀そうだが黙っていよう、伊勢湾内では連絡船がある逃げられたら困る。彼らは真面目で叱る事も無く楽だった、3日間経ち夕食時に何時沖縄に到着ですかと問われた。私はA先輩の顔を見たがA先輩は困った顔をしている、俺が悪者になろうとA先輩に言った、良い子達よこの船は沖縄には行かないよと私が笑った。

これから始まるのは地獄の回航だぜ、学生達は泣いていた、私は少し可哀そうになったが回航は始まったばかりである。辛いだろうが諦めろ、真面目に働けば船上の仕事は面白いぜ、暫くの間だ楽しくやろうぜと微笑んだが手配人も悪である。騙された奴らも馬鹿だが純粋な学生達を騙しては罪である、しかし俺は鬼のセカンドチーフである、これから約3週間無事に任務を遂行する。逆らう奴は容赦なく怒鳴り良い子にさせる、手配人に騙されて船に乗った連中は二度と船には乗らない、地獄の回航はその都度乗るメンバーが変わるのである。

故に地獄の回航は常に新規開店の状態であった、新規開店には魔物が棲む、幾度開店の経験があろうと思うような仕事は無理である。逃げ場の無い船上は治外法権の場であった、現在であればブラック職場、私は鬼のセカンドチーフでありました。しかし船会社の人間や、陸上の恩師達は地獄の回航の現状を知らなかっただろう、Mさんもこの世を去りA先輩や恩師も若くして世を去った。今や地獄の回航の常連経験者は、私と大府市でスナックを経営しているO君だけになりました。

皆良く頑張りましたよ

乗船前夜皆に逢うが今回は生意気そうなヤンキーばかりだ彼ら3人は仲間らしい、仕事は緩慢で返事も無い暇があれば賭け事で遅刻が多い船が太平洋に出るまでは我慢である、太平洋に出たもう逃げられないぞそろそろ船の法律を教えてやれよとA先輩が笑った。A先輩と私は幾度も修羅場を体験し命を助けあった義兄弟である、太平洋上で船の甲板に連れ出し反抗する3人を甲板に叩きつけた。リーダーの両足を持って吊るし海に落ちたら死ぬぜと笑うと震えていた。船上は治外法権であり俺達の行動が法律である、その日から皆真面目になり良い子達になった、A先輩も満足そうに良い子達よ3週間仲良くやろうぜと微笑んだ地獄の回航の始まりでした。

地獄の回航はその都度船に乗るメンバーが変わる、それでも3週間最後まで真面目に仕事を遂行させるのが私の役目である。それ故に鬼のセカンドチーフは憎まれ役だった、無事回航が終わり知多工場内の睦クラブに着く、疲れ果てたバイト達を見ながら恩師が何事も無かったかと聞く。皆よく頑張りましたから今回も楽でしたと私とA先輩は報告し、恩師はニヤリと笑い私を見た。笑。。

料理場の仁義

男だけの3週間は皆気が荒れ夜になると船内で怒鳴り声が聞こえる、スタッフ達もイライラするのだろう。。調理場で夜食の用意をしているとヘルプのコックが興奮して包丁を持ち出した、日頃から酒癖の悪い男だボーイ長のMさんと揉めたらしい、Mさんに切りつけたが簡単に躱され見事なパンチを数発顔面に浴びKOされた。Mさんは恩師の知り合いでその喧嘩伝説は有名だが喧嘩は初めて見た、日頃は温和で優しく洋次君と私を呼んで私も好きだった。下船するとウエィトレスのR子さんが待っていた30過ぎで丸顔だ、私達は狸と呼んでいたが綺麗に見えた、私がRさん綺麗になったねと言うと洋次君は3週間女性を見てないからよと照れていました。

山奥育ちのターザン(野蛮人)は乗り物に弱い、動物は乗り物酔いをするが野生に近い私も船酔いが酷く下船するとほっとしました。無事回航の任務を終えA先輩と旨い酒を酌み交わす、兄弟仁義の歌が聞こえるような気がする、俺の目を見ろ何にも言うな、命を預けあった生涯唯一の親友と飲む酒は格別でありました。A先輩のアパートに行くと色々なインスタントラーメンがあった、名コックなのにラーメンが好きですね私が笑うと俺を小池さんと呼んでくれと笑った、当時ラーメン好きの人を小池さんと呼んだらしい。笑。次回の回航も頼りにしているぜ、任せてくださいと答えたそんな青春時代でありました。

不器用者

A先輩は恩師の末弟で私より1歳年上、16歳からコック修行し19歳から修行した私より5年経験が長い、私は鬼のセカンドチーフ役だがA先輩は酒を飲まないと温和である。29歳まで共に仕事をしたがMさんが君達は黄金のコンビだねと褒めてくれました、A先輩は42歳で死亡、兄の恩師も48歳で死亡しました早すぎる天才料理人の死はあまりにも空しい。Mさんもこの世を去り無鉄砲で早死にすると言われた私が健在なるも不思議である。伝統ある睦クラブ(モンターニュー)の歴史は私に後継ぎを育てる能力が無く私の代で終わる、それだけが申し訳なく思ういつか天国で逢えば謝りたいです。未熟なる愚弟は多くの部下を持つ立場になったが、鬼と遭遇した部下達には悲惨な体験をさせた、その報いで現在は部下が無く相棒の妻と頑張っています。笑。。

楽しい想い出語り

余談であるが当店のリピーターに知多市で営業している酒屋夫婦様がいます、知多工場時代回航用に大量の酒やビールを二人で積込みに来て細見の奥様が重そうに運んでいた、私は可哀そうに思いビール4ケースずつ持ち手伝った。大瓶ビールを2ケースずつ両手に持ちタラップを登る姿を見て驚いていました。食事後は必ずその昔話で盛り上がりあの時は有難うと感謝されます、あの頃のシェフは物凄い怪力だったね、奥様も綺麗でしたね、旦那様は怠けていましたねー。笑。仏様のような酒屋夫婦はもう高齢であるが時々ご来店され昔話を楽しんでおられます。私は悪役を卒業し素晴らしいお客様達に恵まれ、妻と厳しいながらも真剣勝負の楽しい日々を過ごしています。

                   熊野のターザン談。

ご予約・お問い合わせ

ご予約はお電話から承っております。

TEL 0562-33-6030

その他、ご質問などはお問い合わせフォームからでも
受け付けておりますので、お気軽にお問い合わせください。