料理人になったターザン、 命を救われた相生の優しい野犬達を想う。

店の近所に飼われているセパードと昨年友達になりました雌犬で名前はアン、家族に愛されているのだろう優しい目で可愛く逢った時から気が合いました。私はふと野犬達に命を救われた若い頃の事件を想い出す相生の野犬達は大きなセパードだった、回航と名の仕事で外国船に乗り外人食やスタッフの食事を受け持つ。テスト航海中朝食から夜食まで各150人分の食事の用意は大変だ熊野灘は波が荒く船は猛烈に揺れる、有名ホテルからヘルプのコック達が乗るが皆船酔いで倒れ仕事が出来ない。私とA先輩が必死で食事の用意をするが田舎者の私も船酔いが辛い、根性で我慢して頑張るが何も食べられず吐くだけ吐けば少し楽になる地獄の回航でした。弱音を吐き庇って頂くつもりは毛頭無かった、余談ではあるが誰も私の船酔いを知らないから私は常に回航要員である。過酷な山仕事で鍛えた強靭な身体は波の静かな瀬戸内海に入るとたちまち回復し父のスパルタに感謝した。一週間のテスト航海を終え兵庫県の相生にある石川島播磨造船所のドックに船は停泊した。船底の塗装工事で約1週間停泊の予定である、停泊中は外人客がホテルに泊まる為スタッフだけの夕食を出すと暇になり親友のA先輩と飲みに出かける。当時の相生には石川島播磨造船所があり橋を渡ると商店街がある平和な町であった、瀬戸内海沿岸の長閑な町は和歌山県の山奥育ちにとって故郷のようで好きだった。温和な人達が多く年に3回程回航で来るので顔馴染みの飲食店も多い、夏の夜まさか悪夢のような事件が起きるとは夢にも思わなかった。

その夜遅く寿司屋に寄った初めての店だが雰囲気は良かった、仕事の疲れもありA先輩と私は珍しく歩けない程に酔っていた、帰ろうとするとガラの悪そうな数人の男達と目が合うが無視し外に出た。男達は鉄パイプでいきなりA先輩の顔面を殴打しA先輩は血まみれになり倒れた、喧嘩空手を自負し強い先輩であるが泥酔して不覚をとった、プロの戦闘集団は喧嘩馴れしていた、集団攻撃が迅速で急所だけを狙う脅し文句も無かった。普通素人の集団であれば数が多くても烏合の衆で恐れる事も無い、1970年代は暴力団の抗争事件が多く私達は敵対組織と間違えられたのだろうか?、無言の攻撃は私一人に向けられた深夜であり回りに人影は無かった。私は逃げる、謝る、警察を呼ぶと言う言葉を知らない、私達を殺す気で襲った狂暴な輩達に言い訳も弁解も無用である。相手を殺す以外に助かる道は無い、意識が無いA先輩を足蹴にしている残忍な輩達を見た瞬間、酔いが覚め背中の修羅が覚醒し私は狂暴な野獣に変貌した。

深夜の壮絶な死闘が始まった、鉄パイプの殴打を受けながら数人を殴り倒す始めて遭遇した強敵である、無数の殴打で満身創痍になりながら修羅の如く暴れたが背後から足に激痛を感じ無念にも立ち上がれない。弾きは足が付く石で殺せの怒声が聞こえ大きな石を持った奴が冷たく笑った、覚悟を決め夜空を見ると何故か母の顔が浮かび涙が出た。直後パトカーのサイレンが聞こえ輩達は去った私は無意識に転がり用水路跡に落ちた気がするが後の記憶は無い。早朝野犬達の吠え声で意識が戻り用水路跡から這い出ると狼のような野犬達の目が薄暗い闇に光っていた。血の匂いを嗅ぎ集まったのだ一難去って又一難、足骨折満身創痍で戦う気力は無いしかし野犬達の声から殺意は感じられなかった。熊野の大自然で育ちターザンと呼ばれた私には野犬達の声から優しさが理解できたやがて夜が明け野犬達は去った、暫くして大雨になり用水路は物凄い濁流になった、野犬達に起こされないと私は大量出血及び濁流に流されて死んだだろう。船で寝ていると野犬達の遠吠えが聞こえる、命を救ってくれた優しい野犬達は軍用犬の子孫で進駐軍が残して帰ったらしい私は彼らの遠吠えに感謝をした。

A先輩は無事で安心しました私は重傷で3ヵ月の入院だったが悔いは無い、逃げたら男として死ぬまで後悔しただろう。。骨折した足や全身の傷跡は寒くなると現在も痛むが馬鹿な男の勲章であります。笑  事件を知った紀州虎の異名を持つ猛虎のような父がお前はまるで紀州犬だなと笑った、勇敢な紀州犬は猪猟の猟犬で命知らずだ、巨大猪に遭遇しても逃げず大怪我をするが懲りずに何度も巨大猪に立ち向かう。先輩を庇い大怪我をした馬鹿者を叱りもせず褒める呆れた父の息子であることが嬉しかった。正月休みには私の故郷に共に帰る親友のA先輩を我が子のように迎える母は、良く頑張ったねーと私を褒めて無事で良かったと泣いていました。仁侠映画全盛期当時の元気な若者達は任侠道に憧れた、私もその一人でしたが素晴らしい料理の恩師に巡り合い現在がございます。私達を襲った輩達も暴力団の抗争時代に懸命に生きた昭和の純粋な若者達かも知れない、彼らの多くは不遇な環境で育ち世間から冷遇され暗黒社会に身を染めたと思う。警察から告訴するかと問われたが断った、喧嘩に負けた私が弱いのである、彼らが警察に捕まれば退院後の楽しみが不可能になる、泥酔し不覚を取ったA先輩も同じ思いであった。相生の野犬達も戦争が無ければ幸福な日々を過ごしたと思うすべて巡り合わせが運命を変える。飼い主に捨てられた哀れな野犬達の遠吠えも何時しか消えて切なく思う昭和育ちのターザン(野蛮人)でございます。

3ヵ月の入院生活は以外に楽しかった、無事だったA先輩は毎日見舞いに来てくれる、こんなにゆっくり寝たのは名古屋に出て初めてである、大きな外科病院の同室には3人、皆入院生活が長いらしい私よりかなり年配が2人、若者が1人でした。年配のKさんは仁侠の徒で俺は出たり入ったりだと話した、Kさんは船の階段から落ちたと説明する私を見て派手にやられたねあんちゃんと笑った。プロの目は誤魔化せない喧嘩の経緯を話すとお前は立派だったと褒められました、仲良くなった海運会社のAさんは酒の飲み過ぎで肝臓が相当悪化したらしい。遠洋漁船の食事を担当していたと話すTさんは足が悪く、何度目かの手術だが体調も悪化しているらしい、若者は原因不明の病気で入院しているが完治は無理だと諦めていた。医学が向上した現在ならば治せるかも知れないが。。私は1ヵ月も経つと夜病院を抜け出して度々酒飲みに出かけた、飲み屋で若者と喧嘩になったが松葉杖の私は動けず相手が微笑んだ、男らしい好人物で仲良くなりました。翌日の朝は酒の飲み過ぎで体調が悪く看護婦に痛い注射をされ強制退院よと叱られた。。笑。。可愛い看護婦さんに毎朝血圧を測ってもらうのも恥ずかしいが若い私は楽しみでした。3ヵ月はあっという間に過ぎ退院する日に同室の皆と約束しました、クリスマスにはローストチキンを届けますと、クリスマスイブにローストチキンとシャンパンを隠し持って病室を訪れ皆に拍手で迎えられました。看護婦長に文句を言われたが昭和45年当時は現在程に規則が厳しく無かった。楽しいひと時が過ぎ有難う、君が店を持ったら知らせてくれよと皆がお礼を述べました。その日まで俺達の命があれば必ずお祝いに行くからな、私は何も言えずに頭を下げました、明日の運命が判らない仁侠の徒は寂しく微笑み、病室の皆は何時までも手を振って帰る私を見送ってくれました。

 

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