料理人になったターザン、 1月の鮎取り

父と19歳まで山仕事をやりました、朝早くから30キロの荷物を背負い急な山道を2時間ほど登る。
日が暮れるまでの過酷な肉体労働、最初は辛かったがすぐに慣れ父との仕事は楽しかったですね。
17歳の1月は雪が降り凄く寒い日ばかりでした、その日は大雪で仕事を早く終え帰りました。
帰り道谷川奥の大淵で無数の泊り鮎を見ました、鮎は普通11月には川を下り5月半ばに登ってくる。
和歌山県熊野川下流では、11月後半まで釣り糸に多数の引っ掛け針を仕込み長い釣り竿で落ち鮎掛けができる。
落ち鮎は痩せて美味しくない、普通鮎は11月から5月ごろまでは川に生息しないがダム上流の地域には生息するらしい。
谷川奥の大淵には稀に冬鮎が生息するが厳寒期に誰も取らない、現在のようにウェットスーツは装備していない時代だ。
父が私に取って来いよと言った、冬の鮎は食べた経験が無い、脂肪が多く美味かも知れない食べて見たいと思いました。
昼間も薄暗い大淵の岩場には氷柱が多く浅瀬には氷が張っていた、心臓が止まり死ぬかも知れないよと私は笑いました。
猛虎のような父はターザンが死ぬことは無いだろうと微笑んだ、私はその信頼感がたまらなく嬉しく潜って取ろうと決意した。
私は鮎の引っ掛け漁が特技である、道具を用意してパンツ一枚で潜り鮎を取った冬の鮎は動きが鈍く簡単に取れました。
海で寒中水泳の経験はあるが、谷川は氷水のように冷たく心臓が止まるかと感じた、死なない俺は不死身だと自惚れた。笑
父と酒を飲みながら鮎を焼いて食べた、母も寒かったろうと微笑みながら鮎を食べお前は本当に元気だねーと私を見ました。
母さんのお蔭だよと私は微笑んだ、私は2ヶ月以上の早産だったらしい、台風の強風で母が転んだショックが原因らしいです。
山奥の村であり病院は無く産科は当然無い時代だ、産婆に育てるのは無理だと諭されたが母はきっと育てると答えたそうだ。
虚弱で何度も死にかけたらしい、学校で苛められ傷だらけの経験も多い、母は泣いている私を泣いたら負けよと抱きしめてくれた。
苛めグループのボスと決闘しボスの足を折った、怒鳴りこんで来た父親に子供の喧嘩ですと反論、よく頑張ったねと私に微笑んだ。
10歳ころから元気になり現在まで病気無く亡き両親には感謝しています、母のお前は元気だねーの言葉は感慨深く心に残ります。
ヤンチャ者で無鉄砲、大切な命を粗末にした馬鹿者は今更ながら後悔が絶えない、健康に感謝し元気に仕事を継続したいですね。

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