料理人になったターザン。 調理場の仁義、コックコートを着れば。。

19歳にコックコートを着ました、先輩の古着ですが白衣を着るのは初めて先日までは山仕事の作業着に地下足袋姿だった。コックコートにズボン、帽子をかぶれば一応コック見習いらしくなった、山仕事で培った筋肉には少し小さいが文句など言えない世界でありました。皿洗いの日々ばかり現在の様に食器洗浄機などは無い、慣れない粉せっけんで手は荒れてヒビだらけ熱湯が沁みて痛く感じるが慣れるまでは我慢である。皿洗いは以外に暇で料理が出ない時は先輩達の仕事を見る、フランス語の専門用語で話して何が何だか理解が出来ない、紀州の山猿はエビフライも食べた事が無くハンバーグも知らない。それでも3ヵ月経てば何となく理解出来るようになりました、忙しい日は徹夜もあり同期のコック見習い達は足が痛いとか疲れたとか泣き事を言うが山仕事で鍛えた私には楽な仕事である。過酷な山仕事は筋肉はもちろん骨が痛くて寝れない日々があった、改めて父のスパルタに感謝しました。毎朝4時に起き30キロの荷物を背負い険しい山道を2時間登る。父は60キロの荷物を背負い軽々と山道を登るその巨大な背中は威圧感があった、夕暮れまでの肉体労働で培った体力は村人からターザンと呼ばれた。近隣の街はガラが悪く和歌山県の山奥と違い喧嘩相手は多い、昭和40年代は仁侠映画全盛期元気な輩が徒党を組み深夜の街を闊歩した時代である。名古屋市港区南区周辺は当時ガラが悪く傷害事件も多かったがヤンチャな私にとって楽しい街でありました。

3年経ちほとんどの仕事を任される立場になった、怒鳴る殴る厳しい修行に同輩や先輩達も去った、調理場には恩師と恩師の末弟と私だけになり未熟ながら仕事を任された。コックコートも新品を着れる立場になるが後輩もいなかった。久し振りに新入りが入ったが恩師から叱らないように命令された。私より3歳下のYは有名な元暴走族の頭だったそうである反抗的で私を睨むような目つきが気に食わないが我慢しました。弱い輩は群れる暴走族になめられては男がすたる、恩師の末弟のA先輩と私は幾度の修羅場を体験し命を預け合った親友だがA先輩も我慢している。ある日Yが恩師に逆らった、恩師は黙って私を見た調理場の法律を教えてやれの目だった、瞬間私の打撃がYの顔に飛び膝蹴りが金的に決まる倒れたYをA先輩が椅子で殴ろうとした。殺しては駄目ですと先輩を必死で止めたがYは青ざめていた、又二人で頑張ろうなとA先輩が私に笑った容赦ない料理場の法律である。その夜Yが私の部屋に来た仕返しかと思い構えたが、Yは済みませんでしたと土下座をした。私はA先輩を呼びYと酒を飲んださすがに元暴走族の頭である私達はその根性が気にいった、恩師にとりなしやがてYは頼もしい仲間になった白いコックコートと仁義の文字が似合う男らしい好い奴だった、男同志に理屈は無用だ兄弟仁義の歌が聞こえる青春時代でした。

30歳を過ぎ部下を持つ立場になった、未熟な私は部下を殴り怒鳴った現在ならばパワハラであるが憎まれても良い悪者でも良い、彼らが一人前の料理人になるまで私には育てる責任がある。鉄は熱いうちに打て、しかし私の修行した時代とは違う、親に怒鳴られた経験の無い若者達にとっては耐えられらないだろう。独立した私は部下を育てる努力を止めた、私には部下を育てる能力が無かった事も事実である、教える者教えられる者に信頼関係があれば修行だと頑張れる。愛情を持って教え尊敬の念を持って教えてもらう、そこにパワハラなど無い信頼関係が無いとただの虐待であると思う。要領の良い兎より正直な亀が好きである、日々研鑽し努力する者は一言のアドバイスで上達する、師はいたる場に存在する、鈍間な亀がお客様に育てられたと感謝しています。純白のコックコートを着て調理場に立てばお客様の笑顔が浮かびます、鉄板焼きコーナーは私の真剣勝負の場であり一番楽しい場であります、お客様の笑顔を見ると料理人冥利と感激します。

高齢になるがまだコックコートを着て元気に仕事をしている、疲れてもコートを着れば元気になる、コートを着た以上泣き言は言わない、純白のコックコートは私のプライドであり私の料理人生であります。何時か脱ぐ日が訪れるだろう、その時はお疲れ様とお礼を述べるでしょうね感謝を込めてその日までは仲良くねコックコート殿。。 健康で仕事を継続できる事を食事等健康に気遣いをしてくれる妻に感謝しています、昭和育ちの不器用な無粋者は素直に感謝の気持ちが伝えられません。有難う。。

蝸牛 ゆっくり登れ 富士の山    生前恩師が不器用な私に諭した俳句であります。

         

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