GranChef

愛知県東海市の黒毛和牛ステーキと新鮮シーフード料理の専門レストラン|グランシェフ

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愛犬はマルチーズ 、はな    お礼をして逝った愛犬  

7月7日は愛犬(はな)の17回忌です、7月3日妻と愛犬(もも)も一緒に墓参りに行きました。
(もも)は雌のマルチーズで15回目の墓参りです、高齢になり足腰が弱くなったので今回は抱いてお参りしました。
(はな)も雌のマルチーズで妻は小型犬が好きで飼いました、(はな)は少し小柄で目の可愛いマルチーズでしたよ。。
朝夕の送り迎えはもちろん、風呂から出ると私の下着を持って来たりして仕事で疲れた私達を癒してくれました。
朝夕の食事は一緒に食べます、白身の魚や鳥の胸肉のボイルなど手造りでささやかな毎日の楽しみでした。
魚屋に仕入れに行くと必ず白身の小さな魚を一匹買う、店員に聞かれると家にお婆ちゃんがいるからと言いました。。笑
妻が入院した時に仕事で疲れて炬燵で寝ていると、風邪をひくよと必死に起したり色々世話をしてくれました。
高齢になり重症の病気になった、助かる見込みの少ない病気だったが半田の名医松原動物病院で救われました。
酒好きの院長先生が酒も飲まず傍に寝て必死だった、私達夫婦も毎夜入院している(はな)に面会に行きました。
1週間後に私の顔を見上げた姿を見て突然院長先生が(はなちゃん)おうちに帰ろうねと言いました。
退院しても私は毎日(はな)と半田まで点滴に通う、最初は不安そうだったが慣れて私を見上げる顔が可愛いかった。
病気が治り元気になったが高齢でもあります、心臓病の発作があり日々体力が落ちていくので心配でした。
7月6日の夜食事後に私ばかりを見ている、妻にもうねんねしなさいと言われたがただひたすら私を見つめ続けた。
夜中から体調が悪くなり翌朝松原動物病院に向かった、妻はこれが最後だろうと思い動かない愛犬を抱きしめていました。
15時に苦しむことなく安らかに安眠したと連絡があり、ペットサロンのドルさんが綺麗な花で飾られた愛犬を届けてくれました。
妻が泣きながら私に語りました、昨夜(はな)の行動は貴方に感謝と別れを告げていたのね。。。涙が止まりませんでした。。
2日間添い寝をして最後の別れをしました、癒しとやすらぎを有難う、楽しい日々でした(はなちゃん)安らかにお休みなさいね。。
(はな)は可愛いい小さな蛙や綺麗な蝶になって逢いに来ているような気がします、妻と私はよく来たねーと笑顔で迎えます。。。

                    愛犬やデートのような花小道    

2019-07-14 17:26:46

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素適なお客様達に動揺しました。

6月25日ディナーのご予約は女性7名男性1名のお客様、メニュは特選グランドコースで鉄板焼コーナは貸切でした。
新鮮なあわび、伊勢海老、特選黒毛和牛ヒレ、あわび入りガーリックライスの特選グランドコースは人気があります。
長年経験を積んでもお客様の前で調理するのは緊張します、私は料理するとき常に小心者でございます。。
チャーミングな女性達の前で調理するのは動揺します、あわび料理の皿数を間違えた。。落ち着け落ち着け。。笑
どうしたのだろう。。昼間の休憩にやったベンチプレスのトレーニングのせいかなあー手が震えています。。。
料理も喜んで頂き楽しく仕事が出来ました、素晴らしい上司と素晴らしい女性達きっと素晴らしい職場だと思いました。
妻と喜んで頂き良かったねと感謝しました、有難うございました、又お逢い出来る日を楽しみにお待ちして頑張ります。
素晴らしいお客様達に恵まれて幸福に思います、真剣勝負の日々ですが飲食業は楽しい仕事でございます。


 

2019-06-28 15:05:19

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キジコの想い出、 23年前の6月に負傷した雉を保護しました。

23年前道路に倒れている雉を見つけた、重症のようだ翼は折れて眼だけが動いている、車に跳ねられたかも。。。
このままでは野良猫の餌になるか死ぬだろう、鳥は好きでなく迷ったが何とかしてやりたいと思いました。
見た以上見殺しにするのは私の性格から出来ない、助からないだろうと思ったが雉は生命力の強い鳥だった。
3日経って少しずつ動き出したので猫用の檻に移した、食欲も出てきたようで助かったと安心しました。。
3階のトレーニングルームの横に大きな小屋を造った、雌だったのでキジコと名前をつけ飼うことになりました。
半年経ち折れた翼も少し回復して元気に走り回るようになった、やっと馴れて私の顔を見ると鳴くようになりました。
水浴びをするので水浴び用の水と飲み水は別、水浴びは見た事が無いが水浴び用の水が汚れているので解る。
キジコの好物はスイカです季節になると必ず買って帰る、美味しそうに皮まで食べ足で転がしている。。
キジコが私のトレーニングを見ている、時々首を傾げる動作が何とも可愛いい口笛で呼びかけると嬉しそうに答える。
蛇がキジコの産んだ卵を狙い小屋に侵入、キジコを助けようとしたら簡単に蛇を捕まえて殺したので強さに驚きました。
キジコが逃げた事件がある、キジコの小屋を掃除したら掃除機の音に驚き隣のアパートまで飛び欄干に止まっている。
私は諦めようと思った、野生の鳥が逃げたら戻っては来ない近隣には野原があるので仲間がいるかも知れない。
妻は悲しそうな私にキジコは待っているのよ迎えに行けば、もし逃げたら野原に帰りたいのだから諦めるのよと諭された。
いつもの口笛を吹き傍に近寄るとキジコは私を見た、家に帰ろうと手を広げたら嬉しそうに飛び込んで来ましたよ。
私は少年になった、信頼感は深まりトレーニングルームに行くとキジコは嬉しそうに話しかけ二人だけの会話が始まる。
マルチーズの愛犬(はな)とキジコは仲良しになった、猿が加われば私は桃太郎だ。。鬼は誰だろう。。笑。。
10年以上生き最後の日を迎えました、さようならキジコ。。やすらかに。。トレーニングルームで泣きました。。。
雉は勇敢、恩義に厚い鳥だなあーと知りました、昔話桃太郎の仲間に選ばれたのも当然だと思いました。
思慮浅く反省の多い人生でありますが、キジコを保護したことは私の自己満足でありますが良かったと思います。





 

2019-06-22 22:53:16

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父の日に想う、山仕事は私の財産になりました。

先日は土曜日に予約が重なった、私達はもう高齢ですがお客様に感謝、嬉しくて必死に頑張りました。
ランチに15名、ディナーで13名です、あわび、伊勢海老、ステーキ等、すべて高級素材のコース料理でした。
ランチタイムが終わりすぐにディナーの仕込み、足腰は快調だ疲れを感じない、順調に仕事ができました。
妻も大変疲れただろうと思います、私より俊敏で頼りになる戦友です、学生時代はハードルの選手だったらしいが。。
若い頃に山仕事の経験があります、疲れた時はふと想いだし頑張れます、それは私の財産になりました。

中学卒業後、観光会社に就職したが辞め、両親と山仕事を3年ほどやりましたが貴重な経験になりました。
朝早くから、弁当や飲料水を背負い急な山道を登り伐採場まで2時間、最初はそれだけで疲れ辛かった。
父は重い荷物を担ぎ軽々と山道を登る、威圧感ある巨大な背中を歯を食いしばり追いかける日々でした。
楽な仕事で鈍らな身体になっていたのだろう、日暮れまでの肉体労働は筋肉より骨が痛み寝れない夜があった。
やがて山仕事に慣れて楽しくなった、木々の香り、両親との会話、干物と梅干しの大盛り弁当がたまらなく旨かった。
両親も楽しそうだった、このまま山仕事をやり故郷で暮らそうと決心したが、材木の需要が少なくなった。
山仕事が減少し名古屋に働きに出た、コック修行は厳しかったが山仕事に比べ疲れは感じませんでした。
名古屋に出る前夜に無口な父が言った、お前ならどんな仕事も頑張れるだろう。。母は寂しそうでした。
熊野の山々を眺めると亡き両親と山仕事を想い出します、現在も健康で働ける事を感謝して。。
もうすぐ父の日ですね、ご無沙汰しています、いずれゆっくりお墓詣りをしたいと思っています。

 

2019-06-14 22:37:07

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熊野物語、鮎取り、大蛇は本当に棲んでいました。

故郷は和歌山県熊野古道の麓にあり、道路沿いに流れる熊野川の支流、赤木川は天然鮎が多く釣り人も多い。
和歌山県はヤス漁や、引っ掛け漁は禁止である、中学の頃警察に連行され厳しく取り調べられた経験がある。
鮎の引っ掛け漁は、1,5メートル程の竹竿の先に引っ掛け針を仕込み水中メガネをつけて泳ぐ鮎を引っ掛けて取る漁です。
鮎を取れるまでは習練が必要で素人には無理な漁法である,密漁になるから愛知県のように網を張っては取れない。
川では木立に隠れた激流で引っ掛け漁をやる、流されて死ぬ危険もあり,激流で鮎を取るには強靭な体力が必要だ。
6月頃から晩秋まで鮎取りが出来る、赤木川激流の鮎は身が引き締まり美味しい、酢味噌で食べる生食が好きだった。
家の前を流れる、谷川の奥は密林の中にあり、鮎やヤマメの宝庫だ、道は無く釣り人も村人達も近寄らない秘境である。
谷川は川幅が狭いので、赤木川の鮎より取りやすい、私なら100匹以上は簡単に引っ掛けられる秘密の漁場だ。
猪、猿、スズメ蜂、毒蛇が棲み、狼、大蛇伝説がある、少年の頃、村の長老が見せてくれた大蛇の抜け殻は長く太かった。
動物達には生存する大切な領域があり、むやみに彼らの領域を侵すのは危険だ、猪は臆病で夜行性、昼間現れるのは稀である。
雑木が切られ彼らの食べ物が無い、山菜も人間が採る、人間社会は食物が豊富にある、彼らの食べ物を採るのは止めて欲しい。
30歳頃、秘密の漁場に一人で行き帰り道で、茶色の太い木を踏んだ、感触が柔らかく気持ち悪いと感じ飛び退いた。
太い木はゆっくり動き出した、それは大蛇の胴体だった、頭と尾が草むらに隠れていた、村の大蛇伝説は本当だったのだ。
大蛇は物凄い目で私を睨みつけた、背中を踏まれてびっくりしたのだろう、襲ってくる気配は無いが野生の大蛇は本当に怖い。
谷口村の主神様かも知れないなと思った、大蛇は草木の上を滑るように密林に消え、幻を見たような気がし茫然と見送った。
暇をつくり父母の墓参りに帰郷し、谷川の奥に鮎取りに行こう、動物達には果物とお握り、大蛇様には日本酒を土産に持って。。。
大蛇様に逢ったら、酒でも飲みませんかと誘い踏んだ非礼を詫び、貴方は主神様ですかとお聞きし、昔話を語り合いたい。。笑
狼伝説もある、父が狼は存在しているだろうと言った、猪と違う気配を感じ勇敢な猟犬達が怯えていたと、酒を飲み語っていた。
牙で裂かれた猟犬の死骸が発見され山犬では無い足跡があったそうだ、88歳で他界、狼の存在を語り合った父の死は寂しい。
父は村の歴史、地名の由来、伝説、村の行事の意味、猟師の体験談等、数冊のノートに書き残していた、見せて頂いた記憶がある。
印刷し本にするつもりだったが無いと言われた、父の死後ゴミと一緒に捨てたかも?貴重な記録であり見つかると嬉しいです。



 

2019-06-14 22:28:49

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牛タンシチューが好評で嬉しかった、 優しい鬼達に感謝しました。

先日のコースに牛タンシチューを加えました、お客様から美味しいねと評価があり感激しました。
妻も感激して、これからも頑張って仕込んでねと微笑んでいました、本当に嬉しかったです。
牛タンシチューは仕込みに手間が掛かり提供は大変であります、良品が入荷し久しぶりに仕込みました。
修行したフランス料理モンターニューの人気料理でした、初めて食べたときその美味しさに感動し作りたいと思った。
私にも作れるようになりますかと問えば,作れるがお金を頂くには修行が必要だ、鬼のような恩師が微笑んだ。
牛タンの薄皮を剥ぎフライパンで焼き色を付け、褐色煮出汁と赤ワインで煮込みブリューヌソースを加えて煮込む。
箸が軽く刺さるまで柔らかく煮込み厚めに切る、煮汁に生クリームを加えて味を調え多めにかけ完成です。。
古典料理で食通に人気の高い料理だが、食べた経験の無い人も多い、地方では提供している店も少ない。
私が修行した睦クラブ(モンターニュー)は、外人接待のクラブであり食事は前日予約の為、世界中の料理を提供していた。
昭和40年当時は鬼達が居た、叱られて覚える、教える鬼も真剣、覚える方も必死だ、調理場の鬼達も仕事後は優しかった。
鬼達が少なくなった、本当の優しさとは。。教える立場になり理解しました、良き時代に修行できて今更ながら感謝しています。






 









 

2019-06-13 15:34:30

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久しぶりに友とベンチプレスのトレーニングをしました。。

友(小林君)は66歳で今年もベンチプレスの愛知県大会に出場する、県大会で優勝経験のあるパワーリフターです。
30歳頃からのトレーニング仲間で黙々と継続している、当時の仲間達は止めた者が多いが彼は頑張っている。
私は暇を見つけてマイペースのノラクラなトレーニング、健康維持が目的で小太り程度であります。。笑
仲間達の中には、過酷な減量、ハードなトレーニングで関節や内臓をを傷めた者も多い、大会を目指すと無理をする。
私も若い頃は無理をして整形外科のお世話になった、健康に疑問を感じ筋肉痛の無いノラクラなトレーニングにした。
友は週1回~私のトレーニングルームに来る、その日は偶々仕事が暇な時間でしたのでトレーニングを見学した。
10月の愛知県大会を目指して、ベンチプレスのトレーニングを始めたので私も一緒にベンチプレスをやりました。
フォームはさすがに決まっている、腕力だけで挙げる私に比べ全身の筋肉を使用、全身のバネで押し挙げるようだ。
100キロ以上になると左側にバーベルが傾いている、左肩に力が入らない、これでは成功にならないと友が呟いた。
ベンチプレスは審査が厳しい、審判の合図でバーを下ろし合図で挙げる、足が動いたり尻が浮いても失敗になるそうだ。

友の口癖は力が落ちたなあー。。若い頃は130キロが軽かった、私は仕方ないよ、高齢者だからと笑って答える。
70歳近くなってトレーニングが継続できるだけでも、俺達は幸福者だよと慰め合い、お互い健康に感謝して鏡を見ます。
仲間に70歳で体重59キロ、ベンチプレス125キロ、世界大会出場の凄い人がいると友が言った,私も少し燃えた。。笑
記録を伸ばしたいと笑う友に、無理は禁物だぜ、出場だけでも立派だよと毎年おなじ言葉で励ます私であります。。





 

2019-05-27 23:00:20

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嬉しい言葉に感激しました、  タルタルソース

土曜日のディナーのお客は特選グランドコース6名、鮑、伊勢海老、特選黒毛和牛のコースで豪華なコースです。
鮑、伊勢海老等の新鮮魚貝類は調理が難しい、食材の厳選はもちろん、焼き加減には熟練の感性が必要です。
ステーキにおいて、調理技術の微妙な味の差は判りにくい、焼肉屋の場合はお客様が焼く、食材の厳選がすべてを決定すると思う。。
伊勢海老料理のソースはタルタルソースです、ソースの説明をすると若夫婦の奥様が夫はマヨネーーズが嫌いですと言った。
私が解りましたと答えると、夫が本格的なタルタルソースを食べたことが無いから食べて見ますと微笑んだ。
その言葉だけで感動しました、夫はタルタルソースをかけて伊勢海老を食べ美味しいと喜んでいました。
私はすべて手造りですと説明しました、店により色々ですが既製品が多いのも事実です、喜んで頂き最高に嬉しいですと。。。



 



 

2019-05-20 00:25:09

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母の日に想う、濁流に流された大切な長靴、大猪、大好きだったさんま寿司

私は早産の為、生まれつき病弱だったが両親や祖父母のお蔭で元気に育ち、病気知らずの頑丈な身体になりました。
64歳で世を去った母は優しく強い母でした、母の日は辛い日でありますが母の想い出は昨日のように甦ります。
7歳の頃、母と松茸取りに行った帰り大きな猪が出てきた、怖くて泣き出したら母は泣いたら負けよ目を睨みなさいと言った。
母は鎌を構え大猪を睨みつけた、やがて大猪は去ったが、怖くて震えている私を抱きしめ強くなれ洋次、泣いたら負けよと励ました。
父の仕事で転校が多く苛められる事が多かった、相手は多い傷だらけの私を見て母は泣かなかったかと聞いた、私はうんと答えた。
洋次泣いたら負けよ、泣けばまた苛められるだけ、強くなりなさいと抱きしめてくれた、相手のボスと勝負して勝ったら母は微笑んだ。
母は猪の子に猪子と名をつけて育てていた、猪子は母に甘えまるで愛犬のようだ、大きくなっても変わらず母に甘えていました。
猪は可愛い動物だと思った、母が死んでから猪子は餌を食べずに泣いていたそうだ、動物は敏感である辛かったのだろう。

11歳の誕生日に母が、洋次欲しい物を言ってごらんと言った、長靴が欲しかったが何も欲しくないよと答えました。
誕生日に母がニコニコしてピカピカの長靴をプレゼントしてくれました、母は知っていた、私は嬉しくて涙が出た、母は微笑んでいました。
晴れの日も長靴を履いて学校に行く、皆から長靴男と笑われたが私は平気だった、長靴は大好きであり大切な宝物でありました。
台風が来て赤木川が濁流になった、濁流になればウナギが釣れる、一人では危険なので母とウナギ釣りに行きました。
釣り糸が岩にかかり取ろうと川に入ると転んで長靴が脱げ流された、濁流に入り追いかけようとしたら母に引き戻されました。
長靴が流されたと泣き顔の私に母が言った、長靴は又買えるけれどお前の命は一つしか無いのよと泣いていました。

私は母のさんま寿司が大好きでした、正月休みに帰る時は夜行列車、新宮駅からバスに乗り1時間で家に着く。
母は朝早くから炬燵を温め、さんま寿司を用意して迎えてくれます、お帰りニコニコして家から飛び出して来ました。
最高に美味しかったですよ、3日程の休みですが毎日さんま寿司を食べていました、美味しいかいと母が嬉しそうに聞くのです。
世界一だよと答えると、コックさんに褒められると嬉しいと照れていました、帰りの汽車で食べる弁当もさんま寿司です。
母が死んで以来、さんま寿司は食べないと誓いました、母さんのさんま寿司の味を忘れないに。。。。いつまでも忘れないように。。
母の棺に自作の俳句を添えました(母待てる ふるさと遠き 炬燵かな) 涙は止まりませんでした。。。

想いでは尽きません、私事にかまけ墓参りに行けずごめんなさい、遺影に大好きだったお菓子をお供えします。
母の享年より長く生きました、あの世で逢えば年寄になったねーと笑われるかも。。母さんは若いねーと私も笑うでしょうね。。

母の日に想う。。。。。滝尻洋次





 

2019-05-08 00:00:20

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熊野物語、ツチノコ伝説。亡き母に聞いた話。

お客様達と槌の子は実在するだろうかの話題になり、実在すると思うと答え、私の体験談を紹介しました。
小学生の頃に母から野槌(ツチノコ)の話を聞きました、その奇妙な動物は稲藁小屋に寝ていたそうです。
蝮に似た蛇のようだが胴体が異様に太く鼾をかいて寝ている、祖母に知らせたら野槌だと教えてくれた。
母の故郷は本宮町三越村(旧名)で、昔から野槌前説は有名で見た人も多いと語っていました。
小学生の私は興味も無く、変な蛇がいるのだなーと思っただけで忘れていました。
10代の頃槌の子という停留所を知った、熊野新宮駅からバスで20分位熊野川沿いにありました。
母から野槌はツチノコとも言うと聞いた事もあり、母の話を想い出し槌の子村を訪ねてみようと思いました。
停留所から山道を登れば部落があった、私は勝手にツチノコが棲んでいたからこの地名があると確信した。
山道沿いに小川が流れていた、淵には山女魚が多かったが(ツチノコ)は発見できませんでした。
名古屋に出てコック修行を始めたころに、フランス料理の恩師から(ツチノコ伝説)を知っているかと問われました。
恩師は紀州犬や、狼伝説、ツチノコ伝説に興味があり、ターザンのような私に熊野伝説を教えてくれと言った。
30代の頃に(ツチノコブーム)が始まった、発見したら多額の賞金が貰えるらしい、手配書を見ました。
バチ蛇と書かれた絵は母に聞いた野槌と同じでした、蛙等を飲み込んだ蝮ではないかと言う説が大半でしたが。。。
やがてブームも終わりましたが、私は野槌は存在すると信じています、恥ずかしいから隠れているのでしょう。。笑
蝮とは違うと思う、母や祖母は小さいが蜥蜴に似たような足があった、ビール瓶位の太さだったと語っていました。
長年熊野で猟師をやっていた父は見た事が無いと言った、しかし狼も野槌も実在しているだろうと語っていました。
爬虫類を飼育しているお客様は外来の蜥蜴だろうと言った、写真を見たらそっくりでしたが疑問があります。
母の小学生時代は80年も前である、祖母が見たのは大昔である、外来の蜥蜴が輸入されたのは。。何時頃だろうか。。?












 

2019-04-22 22:46:34

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